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その友は、絵描きだった。真っすぐ前を見つめていた。30年以上の付き合いになる。主人と知り合った頃、真っ先に彼女の家に連れて行かれた。主人とは長い付き合いの友人の奥さんだった。私たちが結婚してからは、家族ぐるみの付き合いになった。家が近い事もあり、毎週の様に土日には、お邪魔して美味しいご飯をご馳走になった。
お料理から何から、物を知らない私に様々な事を教えてくれた。娘の紫子が生まれてからは、第二の母として子育ても随分と世話になった。
彼女が絵を描き始めたのは、私と知り合って間もない頃。
子供が幼稚園に入ったのを機に、日中の空いた時間に絵画教室に通い始めた。
「こんな絵描いたの」と見せられた絵、今でもハッキリ覚えている。比較的暗いバックに小さめのバラが3つ、画面の上部に固まって描かれていた。
赤と言うより黒っぽい花びら、茎も葉も何もない、花だけがボヮっと浮き立ってそこにいた。
「あ〜素敵」 と思った。
彼女が描いた二枚目の小さな油絵だった。初心者とは思えない、きちんと主張のある絵だと感じた。
それからみるみる頭角を現し、描くごとに私の目を見張らせ、あっと言う間に女流展(女流美術家協会展)に入選。銀座での個展、JAGを始めいくつかのグループ展にも参加したり、
立ち上げたりと、精力的に活動してきた。
私も、毎年秋の女流展に、上野の東京都美術館まで出掛けて行くのが楽しみになった。
今年まだ松も取れぬ頃、その友が倒れた。私たち家族は、友が運ばれた本郷台の病院へ、何度も何度も足を運んだ。ひと月後、ついに一度も目を開ける事無く彼女は逝ってしまった。くも膜下だった。
突っ走ってつっぱしって、小石につまずき、もんどりうって向こう側に倒れた感がある。前を真っ直ぐ見据えたまま。
まだまだ生きるつもりだったと思う。猛烈に生きていた。
人間ってこんなに簡単に死んじゃうんだ、と驚きを隠せない。悲しみよりも何よりも真っ先に来た感情だった。
倒れる10日程前にしばらく振りに食事をした。突然彼女が言った。
「光子さんとも、もう30年以上になるわねぇ」と、そして二人が出会った日の話を、面白おかしく語りあった。あの日の、初対面の私たちの挨拶の交わし方もちょっと可笑しかったから、彼女はしきりとその事を笑った。
不思議な会話だったと思う。
その友がいなくなって、日が経つにつれあの日の会話を鮮明に思い出す。よくある話ではあるけれど、あれは別れの言葉だったとしか思えない。
こんな事ってホントにあるんだ。
<プロフィール>
1949年1月1日生まれ。東京都出身。劇団四季のニ期生。「堤光子」の名で、幾つもの舞台を経験。星光子の名で『ウルトラマンA』の南夕子を好演した後、再び名前を戻し舞台の世界へ。
その後結婚を機に一線を離れ、一人の女性として時間を過ごす。数年前より舞台を中心に活動を再開。
主な作品/<テレビ>『ウルトラマンA』(1972年・TBS)『ウルトラマンタロウ』(1973年・TBS) 、他。
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